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蒲焼きの出来るまで うなぎの雑学

師匠と弟子の鰻魂

うなぎ職人 師弟魂

師匠と弟子が二人三脚で、うなぎ小林の伝統と味を守るべく、各々の想いを綴って参ります。
更新は不定期になりますが、時々チェックしてくださいね。






2010年1月18日 師匠 記
蒲焼発祥のはなし

 今や鰻の調理方法には色々とありますが、極みはなんと言っても「蒲焼」ですね。ではなぜ「蒲焼」というのでしょうか。はっきりした由来はわかりませんが、一説には江戸時代の前期、筒切りにした鰻に竹串を刺し「薬食い」として、街道筋の茶屋で売っている姿が蒲の穂に似ていたからだとか。

 しかしながら決して美味しいものではなく、後に今から二百五十年位前、江戸中期に上方の魚の付け焼きからヒントを得て江戸で鰻を開き、串を打ち、タレを付けて焼く事が始まってから一気に人気が上がり、蒲焼きの名が広まったとか。もう一つには、その焼き色が樺の木に似ているからだとか。あなたはどちらを信じますか。

 鰻を召し上がる時、ちょっと思い出して下さい。


2009年12月2日 師匠 記
鰻の寿命と生命力のはなし

 大きくなった鰻の歳を知るには、他の魚と同じように鱗の年輪を観ます。淡水域から遠くマリアナ海域まで長旅をし、産卵を終えた親鰻は死ぬと考えられています。

 それは鰻の生殖腺はどの部分もほぼ同時に成熟し、すべての卵を放出するからです。この産卵習性は鮭や鮎と同じですから、自然の中の鰻の寿命はこれで終わりますが、養殖鰻のように成熟しても海に下れず、生殖行為が抑えられた鰻は長く生きられます。ところが天然の鰻は、池に入れても容易には餌を食べず、「武士は食わねど高楊枝」を決め込み、文献によれば絶食をしたまま1年10ヶ月も生き延びた記録が残されています。いったい、この生命力は鰻のどこに隠されているのか不思議ですね。

 初冬を迎えこんなにも強い生命力にぜひともあやかっていただき、鰻を食べてインフルエンザなどにかかりませんように、お祈り申し上げます。


2009年11月3日 師匠 記
鰻の旬と天然鰻のはなし

 夏の間、淡水域で育ち成熟した親鰻が、いよいよ産卵のため海に向かって下り始めます。これがいわゆる下り鰻と言い、鰻が最もおいしい時期(すなわち旬)とされています。それは、産卵所であるマリアナ海域までの長旅にそなえ、あらゆる栄養をバランスよく蓄えているからだと考えます。
 
 そんなまるまると太った大鰻が私共には、四国の四万十川、また青森県の小河原湖より週2〜3回の割で入荷しております。養殖鰻とはまったく違った鰻本来の味を、是非この時期にこそ召し上がってみてください。

 また、私共ではサイズも質も捕られる場所によって異なる天然鰻を、それぞれの鰻にあった技法で、おいしく召し上がっていただけるよう、様々な工夫をこらしております。是非お試しを。

 しかし、産卵のため下り親鰻を捕獲する事は、資源保護の観点から察しますと、複雑な思いもありますが、産地ではそれぞれ保護活動もしているようです。だからこそ、貴重な天の恵みを心を込めて味わっていただきたいのです。自然の節理と生態系に感謝感謝。


2009年8月10日 師匠 記
焼きのはなし 〜その2〜

 前回は、備長炭の燃焼により発生する遠赤外線の電磁波が、鰻の持つ水分などの電極を持つ分子に運動エネルギーを与え、その分子の加速により他の分子との衝突で熱を発生させ、中はふんわり、外はパリッとした理想の蒲焼きが出来る事を話しましたが、それはあくまでも科学の力によりものなのです。おいしい蒲焼きを焼くためには、それらを知り、火床を巧みにあやつる焼き手の力量にかかって来ます。

 そして、18才で始まった下諏訪の丸六さんでの修業時代に食べた、あの涙が出るほどおいしかった思い出の味を忘れることなく、毎日火床に向かう事も大切な要素だと考えます。

 今日も又理想に向かって、いつかこの味が2代目の思い出の味になれる様に。 −感謝−


2009年6月19日 師匠 記
串打ちのはなし

 うなぎ道で刺し八年と言われ続けられるとおり、ふっくらと香ばしく風味豊かな蒲焼きに仕上げるために、刺しはかなり重要な仕事です。

 下諏訪の村山さんに特別作っていただいた竹串と同様で曲がらず真っ直ぐな串を使い、お客様お一人お一人に平ですみずみまできちんとした照りのある柔らかい蒲焼きを召し上がっていただきたい。そんな思いと願いを一本の串に込め、単に刺すのではなく、毎日串を打っております。


2009年5月13日 師匠 記
焼きのはなし

 美しく裂かれた鰻にバランスよく串を打ち、いよいよ白焼きに入ります。火の強弱が自由にできる火床を巧みに使い、皮目から焼き始めます。表面をパリッと、中はふんわり柔らかく骨っぽくない蒲焼きに仕上げるためには、やはり火元は炭でなくてはなりません。

 炭が燃えて発生する遠赤外線は、その電磁波により鰻の持つ水分に運動エネルギーを与え、鰻の芯に熱を発生させます。それによって、決して包丁では取ることのできない細かい骨まで焼き切れるのです。

 「焼きは一生」理想の蒲焼きを造るために今日も挑戦が続きます。

 ちなみに私どもでは、丸二河西さんに届けていただいている高知県の仙頭さんが焼いた備長炭しか使用しません。


2009年4月10日 師匠 記
裂きのはなし
 魚は卸す 鰻は裂くの意

 美味しい鰻を造るためにはどの工程においても一切の妥協は致しません。一見同じように見える鰻も実は一匹ずつ個性を持っています。

 素性の違う鰻を理想の蒲焼きに仕上げるには、一刀の元に切口鮮やかな美しい裂きが必要です。そのためには丹念に磨ぎ込んだ包丁と創業以来宮阪工務店さんに造っていただいている真平な俎板が不可欠です。

 下諏訪町からこの地に移っても三十年変わることなく日本一美味しい蒲焼を召し上がっていただきたいという思いを胸に鰻を裂き続けております。


2009年3月3日 師匠 記
火床のはなし

 今年は創業三十周年。諏訪に移り、より美味しい蒲焼きを造るため、下諏訪時代より懸案であった火床をガスから炭に変えました。

 私共で使っている白炭の最高品位といわれている土佐備長炭はガスとは違い、熾っても水蒸気を発生することなく、強い火力と遠赤効果で芯までしっかり火が通り、こぼれ落ちたタレにより燻煙効果もあります。

 「裂き三年 刺し八年 焼き一生」

 私共の目指すふわっとした風味豊かな蒲焼に一歩でも近づけるよう、今日もまたその火床で鰻を焼いております。


2009年2月16日 師匠 記
タレのはなし

 前回お話しした厳選された良質の鰻を美味しい蒲焼に仕上げるためには、いくつもの要素が必要です。

 「まずはタレ」

 醤油は地元の昔ながらの製法で造られ、私共の意見をもとに独自にブレンドしていただいた本醸造醤油。味醂は愛知県産三河の旧式製造による厳選本醸造味醂、砂糖はこだわりの糖質。

 今の時代に手にすることのできる最高の材料を駆使して特殊な温度管理の下に、一定期間成熟させ完成したタレしか使用しません。

 美味しい蒲焼を造り続けるためには、時代とともに変わりゆくお客様の味覚にそったタレ造りをする事が必要だと考えます。


2008年12月5日 師匠 記
舞阪のはなし

 私どもの鰻は、創業以来30年変わらず静岡県浜松市西区馬郡町・舞阪の竹常さんより、数ある養殖鰻の中から背が青褐色、腹が白い「青」と呼ばれる最上級の鰻を一匹ずつ厳選して送っていただいております。

 舞阪は日本屈指の良質養殖鰻の産地で同時に日本一と呼ばれる良質のスッポンの産地でもあります。当店の鰻会席にもしばしば登場致します。

 養殖業を営んでいる地元のみな様や産地問屋竹常さんの御努力を召し上がっていただくお客様にお伝えする事が私どもの仕事だと考えてます。


2008年11月19日 師匠 記
 今年もまた創業以来三十年近く続けている鰻の供養祭を無事終了致しました。

 鰻屋が鰻屋の使命として、美味しい鰻を安心して召し上がっていただきたい・・・。唯々、その一念で日々精進にております。

 産卵のため、四万十川から遠くマリアナ諸島の深海を目指す長旅のために、たっぷりと栄養を蓄えた下り鰻をご用意しております。

 今こそ鰻の旬です。魚沼産こしひかりの新米と共に、旬をお召し上がりください。


2008年5月16日 師匠 記
 桜の季節も終わり、日中は初夏の陽気すら感じられる今日この頃ですね。
 さて、私もうなぎ職人を志してから早40年。その間、世の中の情勢は目まぐるしく変わって参りました。

 しかし、日々の仕事の中で常々感じていることは、いつの時代でもお客様の笑顔を見ることは不変の喜びであり、これからも変わることはないと思っております。

 それには、常に原点に戻り、決して初心を忘れてはいけないという気持ちなくしては、お客様の笑顔に出会うことも出来ません。

 どんなに忙しい時でも、心に余裕がない時でも、逆境に立たされた時であっても、そんな時にこそ原点に戻り、お客様にご満足いただける料理を提供するのが私の永遠のテーマなのです。

 「やぁ〜、美味しかったよ。また来るね!」このひとことだけで十分。私は、お客様のこのお言葉が常に原点に戻ることの重要性を代弁してくれているのだと感じております。

 裂き、串打ち、焼き・・・ どれひとつとっても手を抜くことは許されません。まだまだ修行の身。常に原点に戻りつつ、これからも日々精進を続けて参ります。

 今日もまた、お客様の笑顔を見たくて調理場に立っております。


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